学生にとって音楽の授業はいらない、と決めるのは自分自身

2017-11-20

学生の頃は音楽の興味があるなしに関わらず、楽器の演奏や楽譜の理解、発声練習を授業で取り扱われます。

普段から音楽を好んで聴いている人にとっても、授業となると苦痛な時間として捉えられてしまうのがほとんどです。

そればかりではなく、社会に出ても何の役にも立たない無駄な時間、と感じながら過ごしてしまう人も多くいます。

大人になって自分から音楽教室に通い始めた人でも、音符1つすら読めないのは当然なのかもしれません。

・どうして音楽の授業が存在するのか

国語や英語、数学や社会や理科は見えないところでも日常生活に大きく影響している分野です。

対して音楽や美術のような、ある種の娯楽としての側面が強い分野は人生においての重要度が低くなってしまいがちです。

しかし”学問”として見た場合は例え実生活に直接関わらなくても、体系的に物事を捉えたり想像力や創造性を養ったりといった学びがあります。

この学びはどの科目でも共通していますが、”学問の入り口”は幅広い方が良いという考えも頷けるのではないでしょうか。

・音楽の授業がいらないと思う人は

学問としての価値が理解できたとしても、音程やリズムの把握には訓練が要ります。

生まれつきの向き不向きが特に強く出てしまう分野なので、興味がなければ成績が多少悪くても気にする必要はありません。

ましてや「音楽と関わる職業の人以外、社会で必要の無い物」と割り切ってしまうのもいいでしょう。

ただし、人間としての深みは”生きるのに直接関係の無い教養”からも滲み出てくるものです。

学生の時に学んだ事は、いつ何時助けになってくれるかは計り知れないのです。

もし「音楽をやっていて何の意味があるのか」と疑問に感じたら、それは「何故生きるのか」という問いと等しい次元なのかもしれません。

授業画像