標題音楽と絶対音楽の隔たりは”聴く人”次第

音楽には標題音楽と絶対音楽という捉え方があります。

音楽を聴く時も作る時も、違った観点から見ればまた違った楽しみ方を得られるものです。

このページでは二つの観点から”音楽の見方”を述べていきます。


・標題音楽とは

音を聴いた時に何かしらの”想い”が沸き起こった瞬間に、それは標題音楽として聴いている事になります。

何かの意図や感情、メッセージを伝える方法の一つとして音楽を使えばそれは標題音楽です。

本来は器楽曲に対して用いられる考え方です。

歌モノにも無理矢理適用してしまうなら、歌詞の内容はどうであれ”詩が意味を持っている時点”で標題音楽的と言えるでしょう。

・絶対音楽とは

反対の意味で絶対音楽という言葉があります。こちらも器楽曲に対しての考え方です。

音の進み方や音色、楽曲の構成そのものを表現する為の音楽です。

聴く側はメロディーやコード進行が”どういう動きになっているのか”を意識して聴けば絶対音楽的な聴き方をしている事になります。

こちらも強引に歌モノに当てはめてみれば、歌詞があったとしても発音時の音の響きや調和感、音の形に注目しているならば絶対音楽的になるでしょう。

楽譜画像

・どちらも表裏一体

音楽制作者にとっては、”曲を作る時の動機”がまずあります。

BGMとしてシーンにあった雰囲気を作りたい、心の内に抱いているものに合いそうなメロディーが思い浮かんだ、というものです。

この場合は標題音楽として作る事になります。

音楽として退屈しない為にオブリガートを入れたり、ベースラインやコード進行を工夫したりといった具合に考えるのは絶対音楽的な観点です。

しかし実際出来上がった音楽を聴く人は、どちらの観点で作られたかはわかりません。

例えどれほど絶対音楽的に作られたとしても、必ず何かしらの”感情”を抱いてしまうのが人というものです。

作曲者本人の意図に反して曲が一人歩きする事も珍しくはありません。

・同じ曲でも聴き方で新しい発見も

普段曲を聴く時は特に意識していなくても、改めて標題音楽と絶対音楽とで分けて聴いてみると新たな発見に繋がります。

どういった意図で楽器や音色が選ばれ使われているのか、良いと思える要素はメロディーなのかコード感なのかリズムなのか、逆に退屈に感じる理由は何なのか、といった事も自分なりに解決出来るようになってきます。

もちろん音楽は理屈ではなく直感的な芸術だという位置付けも間違いではありません。

しかし聴くにしても創るにしても、それなりに刺激や感動が無いと面白くありません。

一つの物事でも多方面的な見方が出来るのは音楽以外でも多くありますが、標題音楽と絶対音楽はその例のようなものなのです。