読譜の価値と必要性の有無を考察

大半の人は音楽と関わる=音楽を聴くという立場が圧倒的に多いです。そういった人にとっては楽譜の存在の有無は全く影響がありません。

音楽を聴くだけでも、分析したり研究する時は楽譜はあった方が遥かに便利です。音楽を聴く為には時間が必要ですが、楽譜なら見たい部分だけをピンポイントですぐに把握できるというメリットがあります。

楽器演奏者や音楽制作者にとって楽譜の価値、読譜の価値は人それぞれ大きく異なります。

・楽譜を読まない演奏者

人前でパフォーマンスとして演奏する人は楽譜を見ずに弾く方が一般的です。こういう人にとって楽譜は単なる、”曲を覚える為のツール”かもしくは一切必要の無いツールになります。

私は元々は楽譜を読みながら弾かずに、曲の流れやポジションをそのまま覚えて弾いていました。

最初に楽譜を頼りにして覚えた曲もあれば、完全に耳で音を探しながら覚えた曲もありました。こうして覚えた曲は失敗しない限りは指が勝手に動く程滑らかに演奏できます。

しかし一瞬でも動きが乱れたり止まったりしてしまったら、続きが弾けなくなってしまう可能性があり危険な方法でもあったわけです。音感が研ぎ澄まされている人なら、多少失敗しても次のメロディーを想像できれば流れを追いかけられるはずです。

こういう人にとってはあまり楽譜は重要なツールにはならず、単なる記録用紙程度の価値になる事でしょう。

楽譜の読み方を知っていて扱う人はまだ楽譜に価値を持っていますが、耳で覚える人からすれば全く必要の無いどころか、読み方すらわからないという人も居る程です。

・読譜しないと演奏できない人

逆にしっかりと楽譜を読み込んで、一音一音をしっかり演奏する人も居ます。もう少しラフに、おおまかな流れを楽譜で確認しながら演奏する人も居ます。私は今ではこのタイプに当てはまります。

次に何を弾けばいいのかを覚える気が無いので、楽譜である程度流れを追っているに過ぎません。

こういう人にとっては、楽譜が全てとなるわけです。知らない曲も知っている曲も、とりあえず楽譜を追えば形になりますが、見失えば何を弾いていいのかわからなくなってしまいます。

特にクラシックのように、音階やリズムはもちろんの事、アーティキュレーション(=表現)までも楽譜の指示通りに演奏を求められる環境に浸かっている人は、楽譜が無ければ急なアドリブに対応出来ない人も居ます。

決して悪い事ではなく、これも一種の音楽の楽しみ方の一つでしょうが、耳を使う事や新しいアイデアを生み出す事に疎くなりがちという面があります。

・どこまで読み取りたいか

もし読譜しながら演奏する場合は、どの程度まで楽譜に書かれてある事を読み取りたいかで音楽の方向性も変わってきます。

完全に再現性を求める場合は、間違いなく演奏できる技術と読み取り能力の二つが必要になってきます。

しかし自分の持っている音楽感性だとか、フレーズアイデアとかを入れたい人にとっては方角を指したコンパスのような物でしょう。無ければ迷ってしまうけれど、具体的な道筋までは辿らないというスタンスです。

いずれにしても、音楽を奏でる時の指針になっている分、読譜に価値があると言って良いでしょう。

楽譜と楽器画像

・必要なら覚えればいい

音楽教育では楽譜を使う機会が多いです。楽器初心者も楽譜を覚えなければいけないという思いを多少感じてしまいます。

しかし読譜の価値はどういう方向性を持って音楽を奏でたいのか、どういう立場で演奏したいのかで大きく差があります。

自分にとって読譜が必要と思った時に覚えればいいですし、楽譜に頼らず耳を鍛えたいという考えも大いに有りなのが音楽という世界なのです。